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2006年度分
<2006年度の活動記録>
3月13日第一回 集会(宮島商工会館)
4月22日・5月13日・第一回・第二回 町石めぐり・第二回町石めぐり
5月6日弥山奉納コンサート
5月16・18・20日倒木を利用しての標識作り
5月24日 弥山開創1200年祭実行委員会に参加し宮島弥山倶楽部の紹介をする。
5月26日
宮島弥山倶楽部と行政との調整会議(弥山倒木再利用について、町石について)
(環境省・県環境部・県教育委員会・廿日市市教育委員会・宮島観光事務所・港町宇品共和国・宮島弥山倶楽 部)が参加
5月28日第一回弥山植物の観察会に参加(弥山開創1200年祭記念行事)
5月30日NHKの番組取材を受ける。(宮島弥山倶楽部の活動について) 6月5日17時30分より放映。
5月30日第一回親睦会(広島市内)
6月4日 弥山清掃登山に参加(弥山開創1200年祭記念行事)
6月5日 NHKで宮島弥山倶楽部の紹介番組を放映
6月11日 狸毛筆による写経会に参加
6月16日 「行政への提言!! 宮島ファンの意見交換会」円卓会議開催(大元公園にて)
6月17日 大願寺 弁財天ご開帳に参加(宮島弥山倶楽部のメンバーも多数参加)
7月1日 倒木を使い、消えずの火を使い、弥山へ来られた方に記念品として渡すために木札制作
7月17日 弥山 霊火堂落慶法要に参加(ボランティア)
7月29日標識調査と木札制作
9月2日厳島神社 社籠に参加
9月9日 大聖院萬鐙会 参加 上綱克彦・MACOコンサート
9月10日 大聖院萬鐙会 参加 宮島弥山倶楽部コンサート
9月12日 大聖院萬鐙会 参加 福原一間コンサート
9月12日 大願寺訪問
9月30日-10月1日 弥山山頂で星を見る会
10月1日 大聖院霊宝館除幕式参加
10月7-8日弥山山頂撮影会に参加(夕焼け・星空・月光浴・日の出撮影)
10月15日上田宗箇流大聖院献茶祭に参加
10月21日弥山開創1200年祭 開白法要に参加
11月1日〜11月3日 弥勒菩薩開眼法要(ダライラマ法王参加)
11月4日 ダライラマ法王講和会
11月5日 ダライラマ法王法話会
11月6日〜11月8日 ダライラマ法王による灌頂
11月12日 五百羅漢開眼法要
11月15日 秋の大祭(火渡り)
11月18日〜11月26日 1200年祭写真コンテスト「作品展」開催
11月19日厳島俳句大会
11月23日 「弥山への道」写真コンテスト入賞者表彰式 チベット密教息災護摩法要
11月26日弥山開創1200年結願法要
12月10日 宮島弥山倶楽部 弥山登山・コンサート・忘年会
3月13日第一回 集会(宮島商工会館)
4月22日・5月13日・第一回・第二回 町石めぐり・第二回町石めぐり
5月6日弥山奉納コンサート
5月16・18・20日倒木を利用しての標識作り
5月24日 弥山開創1200年祭実行委員会に参加し宮島弥山倶楽部の紹介をする。
5月26日 宮島弥山倶楽部と行政との調整会議(弥山倒木再利用について、町石について)
(環境省・県環境部・県教育委員会・廿日市市教育委員会・宮島観光事務所・港町宇品共和国・宮島弥山倶楽部)が参加
5月28日第一回弥山植物の観察会に参加(弥山開創1200年祭記念行事)
5月30日NHKの番組取材を受ける。(宮島弥山倶楽部の活動につて) 6月5日17時30分より放映。
5月30日第一回親睦会(広島市内)
6月4日 弥山清掃登山に参加(弥山開創1200年祭記念行事)
6月5日 NHKで宮島弥山倶楽部の紹介番組を放映
6月11日 狸毛筆による写経会に参加
6月16日 「行政への提言!! 宮島ファンの意見交換会」円卓会議開催(大元公園にて)
6月17日 大願寺 弁財天ご開帳に参加(宮島弥山倶楽部のメンバーも多数参加)
7月1日 倒木を使い、消えずの火を使い、弥山へ来られた方に記念品として渡すために木札制作
7月17日 弥山 霊火堂落慶法要に参加(ボランティア)
7月29日標識調査と木札制作
9月2日厳島神社 社籠に参加
9月9日 大聖院萬鐙会 参加 上綱克彦・MACOコンサート
9月10日 大聖院萬鐙会 参加 宮島弥山倶楽部コンサート
9月11日 大聖院萬鐙会 参加 福原一間コンサート
9月12日 大願寺訪問
9月30日-10月1日 弥山山頂で星を見る会
10月1日 大聖院霊宝館除幕式参加
10月7-8日弥山山頂撮影会に参加(夕焼け・星空・月光浴・日の出撮影)
10月15日上田宗箇流大聖院献茶祭に参加
10月21日弥山開創1200年祭 開白法要に参加
11月1日〜11月3日 弥勒菩薩開眼法要(ダライラマ法王参加)
11月4日 ダライラマ法王講和会
11月5日 ダライラマ法王法話会
11月6日〜11月8日 ダライラマ法王による灌頂
11月12日 五百羅漢開眼法要
11月15日 秋の大祭(火渡り)
11月18日〜11月26日 1200年祭写真コンテスト「作品展」開催
11月19日厳島俳句大会
11月23日 「弥山への道」写真コンテスト入賞者表彰式 チベット密教息災護摩法要
11月26日弥山開創1200年結願法要
12月10日 宮島弥山倶楽部 弥山登山・コンサート・忘年会
2006.2.3
2006.2.3の中国新聞朝刊から
立ち上げ会から3月13日(月)14時から16時30分
参加者の船崎さんから 抜粋
=======================================================
--------------広島eマガジン
VOL.1651
3.13----------------
=======================================================
1、宮島弥山倶楽部立ち上げ会/和合・解決志向で
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本日、宮島弥山倶楽部立ち上げ会が開催されました。
(宮島弥山倶楽部に関しては下記バックナンバー及びHPにて)
http://www.funasaki.net/back/back5/1626.html
http://sttakao.web.infoseek.co.jp/misen.htm
(会場に行く前に寄って美味しいコーヒーをいただいた、
格子戸の奥に優しい空間 ぎゃらりぃ 宮郷(みやざと)さん)
http://plaza.rakuten.co.jp/yoshihide/diary/200603130000/
参加人数は20数名。宮島弥山倶楽部の事務局の方、地元の方、宮島でボランティアで活躍されている方、
若者、宮島に愛着があって遠路来られた方などバラエティに富んだ方々の意見交換で
いろいろ勉強させていただくことが多かったです。
地元の方は「厳島神社と弥山は切り離して考えたことがない」という一方、
広島市内からの参加者は「宮島イコール厳島神社であって、あえて弥山を言わないと(表現しないと)
わからないのでは・・・?」
「弥山の素晴らしさを伝えようと思っても、ハイヒールの女性に弥山の頂上に行かせるのは難しいので、
事前の準備をしていただきたい」
「でも、そのような準備が必要だという情報が伝わっていないのでは・・・?」
様々な立場での率直な意見交換の後、ファシリテーター・コーチの方が、
「(弥山開創)1200年祭の今年は独特の思いがあり、こうしていろいろな人が意見を交換しながら和合に向け、
今日の皆様のように解決志向で楽しくやっていきたいですね」と言われていました。
なんとなく、新しい宮島の幕開けが感じられる立ち上げ会で
ありました。
船崎賀秀 GASHU FUNASAKI
携帯電話 090-2290-2345
TEL 082-212-4707
FAX082-212-4501
Eメール yoshihide@funasaki.net
TJ Hiroshima (月刊 タウン情報ひろしま)4月号 71ページに掲載
スター時の歴史
2006.3.13
<出席できなかった方からのメッセージ>
なかなか参加できませんが、以前から感じていることを。
弥山登山のトレッキング者は想像以上に多く、海外を含めて遠方からの人も多いので驚きました。
弥山トレッキングのすばらしさをもっとアピールすることと供に、
トイレやルート案内看板(外国語)の整備などが必要だと思います。
ハード面はさておき、お金にもの言わせない方法で何か面白いことができないでしょうかね。
私事ながら6月沖縄で平和コンサート(仮称)に参加します。
沖縄と広島・・・特に弥山は、霊的に繋がりのある場所のようです。
「天来」を授かったときから両者を繋ぐ責任のようなものを感じていますので、
コンサートまでに歌の奉納に参ります。
観客はゼロで。あくまで心静かに祈りながら歌わせていただく予定でいます。
四季折々の弥山探索会、全ルートを登破した人には認定証をあげたらどうだろうか。
また、会報誌やHPに、登った人たちが見つけた魅力的なもの(植物、史跡、石、生き物など)
をリポートしてもらうとみんなで共有できるし、
ある程度集まった段階で登山ガイドブックもできるのでは…
皆さん夢をしっかり語り活性化につなげられれば良いですね。
ただし,宮島には様々な規制がありますので,各種アイデアもかなりの制約を受けるのは事実です。
実現不可能なものも出てくると思いますが,
私としては,関係部署にいることもあり,できるだけ上手につないで行きたいと考えています。
よろしくお願いします。
13日は九州巡業で参加できませんが。宮島を愛する一人として会の発展をお祈りいたします。
ふれ〜!ふれ〜!みやじま!!
宮島弥山倶楽部立ち上げ、おめでとうございます!
13日は駆けつけられませんが、これから先の活動の中でメンバーの皆様にお会いできるのを楽しみにしています。
進学で広島を離れるまで、宮島はいつでも行ける、でも行くことのない“他県からのお客様を案内する
広島の名所”ぐらいにしか思っていませんでした。
でも、広島に帰ってきてからは仕事で何度も来るだけでなく個人的にも何度も足を運ぶようになっていました。
自分から進んで、というよりは必要に迫られてだったのですが、縁があったのですね。
足を運ぶ回数を重ねる度に発見があり、「あぁ、また来よう☆」と思うのです。
こうして宮島弥山倶楽部を立ち上げていただいたことで(この倶楽部の存在を知る機会に恵まれたお陰で
さらに宮島を知ることができるのが心から嬉しいです!
山にはぜひ登りたい。地元の人のお話を聴きたい。
隠れた史跡をめぐりたい。宮島の自然にも触れたい。
ぐるり島の裏側にも行ってみたい・・・
宮島弥山倶楽部のメンバーが抱く宮島への思いをいろいろ聴いてみたいです。
私にとっての宮島とは…
@瀬戸内海に囲まれ、
島々を従えるように凛然と起立する弥山の霊的とも言える多様性に富んだ自然美
Aそれを神として畏れ、神社の形で祭る日本人の民族的な感性(=神道)
B寝殿造りの建築様式(中国起源?)、海上に立つ巨大な鳥居、朝鮮渡来の舞楽、
国宝中の国宝と言われる平家納経(印度起源)など、
アジアの文化を融合して日本人の感性として再構築した独創性と技術力
C1000年弱にわたる自然の猛威や社会環境の変化にも耐えて厳島神社を継承した
無名の人たちの情念
…つまり、最も「日本の自然と日本人の素晴らしさ」を体感できる空間なのです。
これは日本三景と呼ばれる他の素材にはない重要な要件だと思います。
こんなことを書いていて、藤原さんに初めて一杯お付き合いいただいた夜に、
私が「宮島・厳島神社こそ、
日本人であることを理解させてくれる形だと思います」と言ったことを思い出します。
同じことを少し難しく書いただけのことです。
その時、藤原さんは“厳島神社の真髄は山岳信仰だ”と言われました。
まだ弥山に登ったことがなかった私は、頭で理解し、
その後、春の晴れた日に実際に登頂して感性で体感しました。
厳島神社は数ある神社の系列の中では主流ではないかもしれませんが、
格式の高い他の神社にもまして、
私は日本の神(=私なりの理解では、
自然への畏敬と永遠の時間・血の継続性への憧憬をベースにした日本人の価値観)を感じます。
46歳になって、つくづく “我々日本人は、日本語で話し、
日本の自然環境や習俗に溶け込んで生活している限り、
「日本・日本人」の枠組みを超えて知性を働かせることはできない。
そのことを徹底して自覚していないと、
生活空間や人生を超える時間の枠組みで世界を捉えることは不可能だ” と感じます。
決してナショナリズムに走っているのではありません。
逆に、自分の思考の成り立ちを直視することが異質の文化への偏見を廃する
唯一の道だと思っているのです。
その意味で、宮島をさらに深く理解することは私にとって重要です。
「宮島弥山倶楽部」の「弥山」の文字に、
山岳信仰から厳島神社・宮島を捉える藤原さんの目線を感じます。
是非ともそれを基軸にして宮島ファンを増やして頂けるように念願します。
理屈はさて置き、瀬戸内海の真っ只中で山行ができるということは、
何と爽快なことでしょう。
小中学校の遠足で一度行ったからといって、分かるものではないと思います。
高校の同級生の縁で国会議員の方とと宮島を訪問した際、
先生は町の関係者と意見交換をされた後で、
「宮島の人達は自分達の力以上の資産を背負わされている。
島外の人間が力を貸してあげないと。」とおっしゃっていました。
それでなくても数少ない島民が分裂しているようではお話になりません。
藤原さんのご尽力に期待しております。
藤原さんも宮島に没頭するほど時間に余裕はないでしょうが、
今後、藤原さんが中心となって宮島弥山倶楽部が魅力的なプロジェクトを
慎重な根回しで合意形成され、島内と島外の力の糾合することで、
「宮島」が2時間滞在の立ち寄り観光地から脱するよう…
無責任な立場から…心よりお祈りいたします。
町屋通りで献灯行灯をやってるのをご存知だとおもいますが、
新企画として10人の作家に依頼して一人3点絵を描いてもらい
3月25日くらいから一ヶ月 やります
詳細は後日連絡します
<13日の立ち上げ会の時に書いていただいたアンケート及び、後日来たメール>
1.宮島弥山倶楽部の集まりに参加させて頂きまして有難うございました。
2.私は宮島に何度か来させて頂きましたが本当のところ何もわかっていません。
3.私の興味のあるところは歴史です。研究をしておられる方にお話を聞きたい。
4.時間をゆったりすごせる為のプランを知りたい。情報発信。
5.歴史がわからないと宮島はわからない。宮島らしさを体感したい。
「宮島町並みを考える会」での事業のひとつとして平成17年度に宮島の町並みを後世に残すことが
必要と考え「宮島町並みの定点写真」を撮影しCD-Rで残しますが、
次はいつになるのか?宮島弥山倶楽部で継続させることを望みます。
個人的に興味があったこと
1.ライブラリー(特に高齢者の方の肉声)
2.歴史の再現
3.鳥瞰図
4.自然の中のコンサート
5.施設の利用
6.明治の神仏分離前の仏像
7.宮島裏の七浦神社に関する資料
8.宮島のみのガイドブック
弥山に限らず、宮島全体を見据えて活動したいと思います。
弥山の素晴らしさはもとより、その大自然・海辺の美しさ、源頭から海への水の流れ、
植物の多様化、祭事、神事、もっと近く考えられるアピールの仕方。
包ケ浦の冬場の活かしかた、広くて設備もありいろんあことができます。
弥山と連動させて島全体のよさをもっと知って楽しんでもらえば、
長く島を回遊してもらえる。島の90%の自然美。山並みをいかいたらどうでしょう。
メンバー自身がもっと宮島を学ぶ必要があるかも、
一度船を出して1周して島の美しさを心と体で感じてみませんか。
いくら知識を重ねてもやっぱり自分のこと人さまのあいだをとりもつ
「コミュニケーション力」一番大事じゃないのかな・・・・。
有意義なお時間を、どうもありがとうございました。
大好きな宮島に関することなので
これからワクワク楽しみにしています。
宜しくおねがいします。
いろいろな方達の陰の
御努力や思い入れがあるんですねえ。
心が落着くから、足を運んでおりましたが
また、宮島の見方が違ってきます。
宮島が多くの人にとって第二のふるさとになればいいな。
認知症のグループホームで働いているものですが、
あたたかくなったら宮島ツアーをしようと考えています。
ただ、トイレが近い方、車イスの方、車イスではないけれど歩行が困難な方が多く、
安全に楽しめるか心配です。
道中にゆったり腰かけられる場所が多くあると安心です。
また、認知という症状を理解し、受け入れてもらえる休憩場所(トイレが行きやすく、
少し横になることも可能、気軽に入れる)があればいいなとも思います。
体外肛門の洗浄、下着の着替え等が出来るお手洗いがあればとても助かります。
(あるならすいません。勉強不足でした)
1.歴史の再現CG
2.自然の中でのコンサート
昔、芸妓産してた人や、古くからの風習をご存知のお年寄りに話を聞いたりして、
そういう情報を参考にされるのも重要だと思います。
お土産店が並ぶ表参道だけでなく、裏側の宮郷さんの通りにもたくさんの
お客さんに足を運んでもらうようにすることで、五重搭を見に行ったりすることで、
弥山を見ることもできるし、そこから興味がわくように、
そういう場所にも、弥山の案内板なふぉを置かせてもらったりするのはどうでしょうか。
4月8日 光明院にて現代琴のコンサート
昨日はいろいろお世話になりまして、有難う御座いました。 宇品共和国の長年のお世話、
それに新たに弥山倶楽部の立ち上げと、そのご努力に本当に頭が下がります。
ひるがえって、中学が戦争中、高校(旧制)が原爆の後の整理、それからずっと大学では、
まさに世間知らず(立派な先生方を別にして)もいいところの人生を送ってきました。
藤原(点のない原)さんのお陰で、私なんだか今までなかった、本当の人間のおつきあいの
世界を、たった一日でしたが、のぞかせて戴いたような気がします。
お仕事のお手伝いは出来ませんが、人と人との繋がりを経験させていただければ、
これに勝る嬉しさはございません。
《宮島弥山倶楽部》立ち上げ会、 御苦労様でございました。
一つの会を、それも世界遺産登録に携わる会を立ち上げられるその並々ならぬ御尽力、
一歩中へ入ってみないと遠目ではわからないものなんですねぇ。 頭が下がりました。
いろいろな方々の宮島に対する愛情が、圧倒されるくらい伝わって来て、
感心したのと同時に正直驚いてしまいました。
今までの私也に味わって来ていた宮島の、時が止まってしまったかと思える瞬間がある心地良い錯覚タイム…、
お気に入りの数少ないレパートリーのコースではあるけれど、
帰路に着く頃には宮島パワー (←知人には、宮島がきれたからエネルギー補充に行って来る。
と云う表現の仕方をしています。) を戴いて元気になって島を出る自分…。
この部分はこれからも大切にしていきたいひとときと考えております。
パワフルな皆さんと御縁が出来て心から喜んでいます。
ただのんきなトコが大丈夫かな?本当に着いていけるのかな?とムムですから、前もって申告しておきます。
13日、立ち上げ会の報告と祈願をする為、あれから参拝をしました。 そして家路を急いでいると、ほぼ満月でした。
厳島の姫神様は月の神様でもあるらしく、この倶楽部を暖かく見守って下さっている様な気がして嬉しくなりました。
それでは宜しくお願いします。 いろいろ教えて下さいね。
2006.5.6
弥山奉納コンサートについて
5月6日(土) 弥山奉納コンサート
「弥山に捧げる歌」
中家志乃さん
新屋まりさんCD ¥2,000(9曲)税込み
中家志乃さんCD \1,500(8曲)税込み
送料は別途必要になります。
ご希望の方は、連絡を下さい。
弥山本堂・霊火堂の前で
奉納コンサートを希望される方はここをクリックください。
CD ジャケット
\1,500(8曲)税込み
送料は別途必要になります。
スタジオタカオでも預かっていますので、ご希望の方は連絡をください。
2006.5.28
弥山開創1200年祭記念行事 弥山 植物の観察会
参加者70名ほか、スタッフ10名 で行なわれました。
会費:1000円
持参品:弁当・雨具・タオル
行程
大元公園・富士岩・風吹き岩・駒が林・仁王門前・大日堂・弥山山頂・三鬼堂(御祈願)・霊火堂
(もみじ谷コース)・紅葉谷公園・解散
弥山を徒歩で散策しながら、広島大学助教授豊原源太郎先生に、
宮島の貴重な植物を説明していただきながら観察をしました。
集合時間 9時30分
集合場所 大元公園
大聖院の吉田住職・豊原先生の挨拶の後、出発。
立ち止まっては、丁寧な説明があるので、ゆったりした気分で登れました。
14丁あたりで・・・・
弥山本堂の前で集合写真。
マムシ情報
マムシセンターの情報です。
飼育数数万匹。
飼育したマムシは、まず2・3ヶ月絶食した後にエタノールに
マムシを漬け込み、それから焼酎に漬け込んで、全国に出荷 されているのが仕事だそうです。
主食については、小型小動物・昆虫です。
マムシは、泳ぐのですか・・・?
良く聞かれるのですが、かなりの距離を泳ぐそうです。
海水については、不明との回答でした。
マムシセンターは、全国にありますか・・・?
広島だけです。
以前は、山口・長野にありましたが
現在は、一箇所のみです。
マムシの数はどうですか?
最近は、激減しているそうです。
マムシの天敵は、いのししだそうです。
マムシの最大の大きさは、50CMです。
50CMになるには、10年から15年とのことです。
生息域は、湿地・湧き水の有る所・川べりです。
活動時期は、夕方から夜です。(夜行性)
暑いときには、あまり動かないそうです。
見かけるのは、明け方・夕暮れだそうです。
明け方から夕方までは、おとなしいのですが、
太陽が傾いた頃から活発に行動するので、 夜間については、見つけたら離れて下さい。
マムシと見つけてからマムシのこんな行動を見たら即座に 離れてください。
とぐろを巻き始めたら攻撃態勢です。
山を歩かれる方、マムシは、茂みだけではなく
木の枝にもいますので、十分注意してください
2006.6.5
NHKの取材がありました。
放送日 2006年6月5日(月)17時30分から10分間
「宮島弥山倶楽部の紹介」
会議風景や実際にもみじ谷ルートを登り、間違いやすい場所とか、観光客の方に意見や苦情を聞きました。
町石も、10日前までは、無事を確認していた8丁が真っ二つに割れているのが発見されました。
また、11丁は倒れたままになっていますが、何とか立てることは出来ないのかなどと
現地を撮影しながら話をしました。
最後は、奥の院でインタビューを受けて帰りました。
2006.7.1
7月1日 土砂降りの中で作業は開始された。
7時15分の船で、第一陣は宮島に渡り、奥の院から索道を使って機材をあげた。
他の参加者は、ロープウェーを使って登って来た。
幸い、軒下の作業では雨に濡れることはなかった。
霊火堂落慶法要の時に、わたしたいという思いで、皆さん頑張って
520枚の木札を作ることが出来た。
作業の主役は、松田夫妻
千代田の山中に住んでいる、ログビルダー
さすが、プロの勘と作業に皆さん引っ張られて、2時過ぎには終了
雨も見方をして、小雨は邪魔にはならなかった
ご褒美に、素晴らしい景色を見せてくれた
まず、丸太を輪切りにしたものを、10cm角に、なたで割っていく。
角を、カッターナイフと電動旋盤で削っていく。
2日後には、解体される枠の上に上がり、屋根で記念写真
左前 石田さん・山崎さん・正路さん
後ろ左 藤原・宮石さん・梅田さん 鬼瓦 松田夫妻・上方さん
右後ろで静かに笑っているのは、中川さん
2006.7.17
霊火堂落慶の様子
霊火堂消えずの火点火式
(バックアップの火から戻されました)
奉納
上綱克彦・MACOさんによる「弥山の歌」 時空のおくりものーーー1200年弥山
西井紅悦さんの舞
火渡り
無事終了しました
<ココからは、投稿分>
写真提供 馬谷さん
こんなブログを見つけました。
7月17日(月) 海の日
昨年5月5日に消失した宮島弥山々上の「不消霊火堂」が、1年2ヶ月余り振りに再建され、この日落慶法要が催された。弘法大師がこの山を開いて以降1200年間燃え続けていると伝えられている霊火も、この日新しい堂宇の中に移された。この法要を見ようと、仲間達と弥山登山を兼ねて宮島を訪ねた。さすがに、この日は特別な日で、山上で思わぬ善意の数々に出会うこととなった。今回は、山や法要の様子のレポートではなく、山の上で戴いた善意の数々の報告です。
【写真↑】再建された「不消霊火堂」。実にしっかりとした建物との印象だ。
【写真↑】法要の間に僧侶の手で撒かれた有難い紙片。金色には「きえずの火」が、銀色には「霊火堂」が、赤色には「不動明王」の御姿が刷られている。
【写真↑左右】汗だくで大聖院弥山本堂前の広場に登り着いた時に信者の方から戴いたウチワと弥山の刻印が鮮やかな木札。ウチワの骨は本物の竹であるのが嬉しい。木札の刻印は「きえずの火」で熱して刻したものとのこと。
【写真↑】これもこの日の「お接待」のひとつ。お弁当(おにぎり3個+沢庵)とお茶、それにオシボリが嬉しい。
法要後の宮島弥山倶楽部 ミニライブ集合写真
ボランティアの皆さんの大半は、法要後に下山されたので
集合写真には、参加されていません。
出演者の皆さん
2006.7.29
この記録は、2006年7月29日 宮島弥山倶楽部のメンバーが午前9時すぎから夕方までかかって
現地を見ながら写真を撮ったものをまとめました。
最近、外国の観光客が多い中、標識の設営場所や内容が、現在に適合していない。
と実際に登山をする会員からも声が上がってきていますので
現状把握をするために、見に行きました。
偏見もあるでしょうが、実際、初めて宮島を訪れた観光客にとって
不親切な部分があるということを知っていただくために
このページを開きました。
もみじ谷ルートの入口 左側
問題点としては、このルートが「もみじ谷ルートの入口」という標識がないのは、観光客を不安にする。
入口に設置されている看板
弥山山頂の標高が529mになっている。正確には535m。
右側が登山道なのに、何故か標識は、左の場所に設置されている。
まったくよそをむいている。
右側にある貯水地の下に壊れた看板。数年放置状態。
進行方向から見ると角度が違うので、見損ねて右の道を登り、行き止まりを戻ってくる。
ココで、観光客は、登山道に対して不信感をもち、今後細くなった登山道が正しいのか不安になるようだ。
下から見た景色
この右にも、石段があり、一瞬躊躇する場所。下りも同様に感じるようだ。
上から見た景色
八丁石 最近二つの割れた
向こうに見えるのは、海軍省の石碑
倒れたままの11町石
先日までは、立てかけてありました。
傾き始めた支柱
壊れている!!
向かい合わせにある標識
逆から見る
外国の観光客にとっては、意味のない標識。英文を添えるべき標識かと。
放置された 昔の標識のあと。コンクリート製
この近辺
後ろの柱の痕跡。コンクリート製
もみじ谷ルートとロープウェー道とのT字路
T字路から弥山本堂に向かう道左側に放置された標識
霊火堂前 ココに大聖院ルートが通行止めである表示が欲しい。
外国の方は、帰りをもみじ谷ルートにするかロープウェーにするか
あるいは、がんばって大元ルートにするかの選択肢を考える場所にしなくてはいけない
特に、外国の方は、往復を同じ道はイヤだと考える人が多いので
大元ルートを選ぶ例が多いようだが
普通の格好では、難しい事を説明する必要があると思う。
霊火堂から、大聖院ルートに下る石段にある標識
奥の院へ下って行く人が多い原因の標識
大元ルートの説明がない。(駒ケ林では分からない)
仁王門の四つ角にある標識。
木に隠れていて、仁王門から大元に向かう人には、見にくい。
駒ケ林と大元ルートの分かれ道の標識。
道路を挟んで、下に落ちていた標識があった。
尾根道から見える 岩船山
今にも崖から落ちそうな20町石
ココから、一気に急勾配を下って行く。
距離表示がないので、どのくらい時間がかかるのかが知りたい観光客が多い。(概算でも良いみたい)
逆に、登ってくる観光客にとっては、大元ルートの標識整備がされてないので、話を聞いてびっくりする人が多い
特に11丁以上で、相当疲労している観光客に会う場合が多いが、ココで本当の事を言うのが忍びないほど。
岩屋大師の入口標識
富士岩付近の標識。岩に立てかけてある程度。
ひび割れがひどくなっている、5町石
修復されていた、大元神社の前の標識
2006.7.30
弥山霊火堂にお参りに来られた方に
お接待で差し上げようと
宮島弥山倶楽部は先日より
ボランティアで集まって、材木割りからスタート
一部、完成お渡しをしましたが
表面の木目が邪魔をして、うまく焼印が押せなく
弥山本堂のそばで、削っています。
写真は梅田さんが、サンダーを使って表面を滑らかにしています。
弥山霊火堂に行かれた時は、是非、1枚お持ち帰り下さい。
完成写真も掲載します。
ココをクリック
2006.7.30
焼印のある、木札をご希望の方は、弥山霊火堂に登っていただいてください。
佐渡にも弘法大師ゆかりの印がありました
この洞窟は、島の反対側にある、小木の洞窟まで続いているという伝説があります。
こんな岩もありました。
ひまわりが満開でした
北海道に旅行中のメンバーさんから
「弥山への道」ルート情報
19日に宮島弥山倶楽部の梅田さんから電話をもらいました。
大元ルートの、壊れた看板等が修理されていたそうです。
佐渡島で見た、材木の利用例を掲載します。
両津港のジェットフォイル(新潟-佐渡を1時間でつなぐ高速船)の待合室にあったベンチです。
「行政へ提言!!宮島弥山ファンの意見交換会」
その後の顛末
提言内容を、現在整理中ですが
まずは、壊れた標識を見つけたら、環境省・広島県環境保全局・広島県教育委員会・廿日市市教育委員会・宮島観光事務所
にメールで写真を送っています。
町石については、「平成の町石整備」委員会を発足させる準備をしています。
弥山への道への標識の作成!
どこに必要なのかを調査して
提言を行います。
関係者が一緒になって登って、現地調査を検討しています
詳しくは、ココをクリックください
2006.8.31
宮島弥山倶楽部も宮島チームとして参加しました。。
瀬戸内海研究フォーラムin広島
開催場所:宮島観光会館(元宮島町役場)
時期:平成18年8月31日(木)〜9月1日(金)
宮島弥山倶楽部もポスター発表に参加しました。
宮島弥山倶楽部の展示ポスター
みやじま未来ミーティングの上田さん
ポスター展示会場と本会議場
2分間の発表でした。
概要はココをクリック
過去の実績
2007.9.8
厳島神社「社籠の夕べ」9月8日18時30分
厳島神社において「社籠の夕べ」が開催されます。
1年に一度だけ、厳島神社の廻廊が無礼講になり、地元の方がそれぞれに、弁当・お酒を持ち寄って、
地元の方の演芸・かくし芸などが高舞台で行なわれます。
昨年、初めて参加しましたが、顔なじみの方の日頃見れない表情で芸をされるのを見ると、
宮島の人は、仲が良いんだなと感じました。
本来は、地元の方しか参加出来ない行事らしいのですが、誘ってくださったので、お時間のある方は参加下さい。
中に入るのも、地元の方の同行がないと出来ないので、入口に集合して地元の方に入れてもらおうと思います。
昨年は、宮郷さんにお願いしました。
社籠 報告
厳島神社の廻廊で、地元の方が各自弁当持参で親睦会をされています。今回、参加が許されました。
9月2日(土) 18時から食べ物・飲み物各自持参。
地元の宮島弥山倶楽部の方も、多く参加されていました。
すいません。撮れてないグループもあります。
帰りに、パフォーマンス
2006.9.30
弥山頂上で「星を見る会」
皆さん、夕焼けから始まり、星空、そして雨の中の夜明けを満喫されました。
日本宇宙少年団 広島分団のHP
詳しくはココをクリックしてください。
先生が遅れて来られたので、1名不足写真です。
弥山山頂に機材を置いて、準備万端。 素晴らしい夕焼けに遭遇しました。
(寺尾カメラマン撮影)
夕食はカレーライス、3杯食べた人もいました。
10月1日 解散前に弥山本堂にて撮影。霧が深く幻想的でした。
すいません、作品撮影に忙しく、ほとんど撮っていません。
2006.10.7
10月7日8日 弥山山頂撮影会は無事終了しました。
PHOTO by SANUKI
ご祈祷をしていただき、解散。
作品は、作品展にてご披露となります。
英文ガイドMAP 試作品 90%は完成しています。
現在、最終訂正をしています。(掲載ものは、訂正前です)
サイズは、B3
片面 各2色
紙質 マット紙 90kg 6つ折
印刷部数 未定 皆さんの寄付金によって増減をしますが、最低1000部印刷予定です。
<写真・スケッチ作品の募集>
現在、宮島の写真作品を生写真やハガキにして宮島弥山倶楽部のメンバーのお店で販売をお願いし、
すでに数軒で販売が始まっています。大変好評です。
もちろん、お客様に買っていただけるような写真でなくてはならないので、
本当の絵はがきのように撮っていただいたほうが確立は高いです。
皆さんが、日頃宮島を散策していて、カメラチャンスに出会ったら撮って下さい。
ハガキサイズなので、画質は問題ありません。こちらで画像処理をして、商品化します。
販売しても版権件使用料はわずかしか渡せませんが、自分の作品が店頭に並ぶのもうれしいものではないでしょうか。
まるで作品展を楽しむ感覚になれると思います。是非チャレンジしてください。
すでに、数名の方の作品を商品化して販売開始しています。
もちろん、スケッチでも構いません。加工はこちらでします。
弥山登山については、随時お知らせします。月に一度程度を考えています。
なるべく、曜日も土日・平日を混ぜたいと思います。
<大砂利地藏の清掃>
現在、メンバーの山崎美和さんが、定期的に大砂利地藏の清掃をされています。
地元の方が高齢化し、登ることが出来ず荒れていたのを見かねて清掃を始めたそうです。
宮島弥山倶楽部の登山でも、応援に駆けつけたいと思います。
<弥山山中の地藏廻り>
弥山山野に静かに眠る地藏様をおまいりする会を計画しています。
日時は、未定ですが是非皆様の参加をお待ちしています。
日本語訳をご希望の方は、お知らせ下さい。
メール添付ファイルで送信します。
外国の方にわかりやすい、大聖院の英文パンフレット
監修 フンク・カロリン 翻訳 通訳協会 撮影 藤原隆雄
メール
B4 両面カラー
ご希望の方は、大聖院まで
大聖院
<地藏さんのエプロンは、何故赤いのだろう?>に対してメンバーの方から連絡がありました。
お地蔵様の赤いエプロンについて。
「亡くなった幼児が賽の河原でさまよっているのを仏に救ってもらうため
わがこの匂いのついたエプロンを供えて供養してもらった」
「<赤>は人間の煩悩をあらわす」と言う。
赤いエプロンをお地蔵さんに掛けて風雨に晒し、煩悩を消してゆく」
と、お寺で聞いたことがあります。
一説にはお地蔵さんの赤いエプロンは「袈裟」と言うお寺さんもありました。
いかがでしょうか。凡人にはわかりません。
アメリカ ロスアンジェルスに留学した松尾さんからの写真報告
ROBYNさんと松尾さん
他にもたくさんあります。興味のある方は、ココをクリック
倒れてままの11丁
宮島紅葉谷ルート、横倒しになったままの11丁の町石の付近の様子。
ルートにはみ出た木材を切った時にでたチップがたくさん散乱しています。
このチップこそが、宮島弥山の復活に役立つと考えられます。
腐葉土として、弥山山頂付近へまくことは出来ないのだろうか?
自然林といいながら、転がしたままの倒木を見るに偲びません。
倒木を現場でチップ化し
皆で、少しずつでもいいから、禿山になりつつある弥山の再生にチップを持って行けないだろうか
と宮島弥山倶楽部の事務局は考えています。
皆さんのご意見をお待ちしています。
流れ出た土も、持って上がれないだろうかとも考えています。
観光客も含め、みんなが少しずつでもいいから
啓蒙活動も含めて模索しはじめました。
弥山倶楽部のメンバーの方にお知らせします。
弥山開創1200年祭の記念行事もまもなく、終了します。
今年は、弥山を特に注目して、いろいろと活動をしてきました。弥山につながる、
大聖院の行事にも多くのボランティアのかたが
参加しました。
標識の問題、町石の問題などが、少しながら進展をしているように思います。
大切な文化を守ろう、自然を守ろう、歴史を守ろうといろいろな考えの方が、
宮島弥山倶楽部に参加して、興味のある行事に参加されてきました。
現在、提言をしようと準備しているのは、頂上付近が相次ぐ台風の影響もあり、
岩だらけの山になりつつあります。
何とか、土を残し昔のような木々の茂った弥山への復活を願い。
皆で、腐葉土を作り弥山山頂に定着できないかと考えています。
大山のように、観光客も含め多くの人たちが、石を握り締め登っています。
宮島も、砂が駄目なら倒木を切ったときに出る、木屑をみんなで持って上がり、
一定の場所において、腐葉土とし将来弥山の砂となる事を願ってみたいと思います。
つきましては、12月に入り
土曜日の午前中に、弥山へ登る行事をしたいと考えています。
お時間のある方、参加しませんか。
標識についての行政への提言も依頼されていますので
どこの場所に、どのような標識と文字が必要かを皆さんと一緒に登り、提言書をまとめたい思います。
まずは、紅葉谷ルート・大元ルートを検討します。
参加希望の方は、連絡を下さい。
誤解のないように:::以上のことは、関係省庁・関係者との話し合いを密にして、
長いスパーンで考えています。
今は、同士を探している段階ですので
実行に移すところまでは行ってません。
皆さん、勝手に持って登らないように注意しましょう。
ここまで
右下にある細長い石が、倒れたまま放置された町石です。
11丁
紅葉谷にあった町石は、60年前の枕崎台風の時の土石流で大半が流失し、現在は
わずかしか残っていません。
最近8丁の町石が真っ二つに折れてしまいました。
今の8丁の姿
距離を測定すると10丁と思われる。 倒れてままの11丁
ロープウェーからの交差点付近にある19丁
ロープウェーから弥山本堂に向かう道より、少し高いところにある旧道にある21丁
大坂に転勤された、東原さんからの情報
宮島の今年の紅葉はいかがですか。11月の24.25日、大阪の箕面と奈良の談山神社に行ってきました。
箕面の勝尾寺は勝負事に御利益があるとのことで、「勝ちだるま」と言われる小さなだるまがいっぱい納められていました。
奈良の談山神社は、大化の改新ゆかりの地で、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が蘇我入鹿を伐つ謀議をしたところと言われています。
紅葉は真っ盛りでしたが、天気が今ひとつでもっと光が欲しいと思う一日でした。
また良いのが撮れたら送ります。
弥山からの写真が採用されました
撮影 藤原隆雄 協力 大聖院
弥山山頂付近
(危険な場所なので、簡単には行けませんのでご注意ください。)
まるで、祠を守っている狛犬か龍に見えませんか。
残念ながら、今年の秋の台風前後に、断崖に落ちていきました。
役目を終えたのだろうと、拾い上げることはしませんでした。
奉納コンサート
まずは、ご住職の挨拶から
伊藤洋子さん 梶川純司さん
中家姉妹
宇月彩さん 新屋まりさん
田中雅子さん
上綱克彦さん MACOさん
西井紅悦さん